今こちらも来年の進学について、お受験シーズンがはじまったようだ。友人達何組かも幼稚園探しをはじめたといっていた。
私立幼稚園については、ともかく努力しても入れないケースも多々あるようなので、発言にはいろいろ注意しなくてはならない。うちは日本からの受験、かつハーフ(純粋日本人:私、最近渡米)とアメリカ人との娘、という要素があったので、それも大いに利用して訴求して面接したもんだった。結論、受かった(といっても同じ私立受験者間の『配属』、に近い感覚かも)ところが数校あったので、そのダイバーシティカードが有効だったともいえるんだろう・・・。(いわゆるお受験知能テストとかあったのは落ちたし。笑)
先日も、ひょんな立ち話から受験話が出たところで、『よく入れたわね!ダイバーシティ枠よ絶対』的なことをなぜか露骨な競争意識まんさいの態度で面と向かっていわれた。
比較的のんびりとしたこの街のちょっと裏側を見たきたして、びっくりだった。ま、そうかもラッキー!と明るく答えておいたのだが、そういうところをわざわざついてくる人もやっぱりいるので、コミュニケーションも気をつけねば、と思った瞬間だった。
あ、でも確かに区の認可保育園に入れたのも、ダイバーシティ枠だったかもしれない?笑)兄弟枠は当たり前だが、ひそかに、お寺枠、ハーフ枠、看護職枠、公務員枠、そんなうわさがまことしやかに流れてたし。
ま、マイノリティやマジョリティなんてのも、あわせて人生、運と縁とタイミングでしかない。目の前のあるもの、もつものすべて(に感謝して)それをどう(努力して)活かしきるか、よね。人生も仕事も生活も。
この街で執拗に、ダイバーシティといい続けられているのには、やっぱりそうでない『影の部分』があるからであって、改めて複雑な思いを抱く。