アメリカのテク企業に10年近く勤務しているが、ビジネスの対象マーケットは日本かつ、大企業を相手にするB2B。良くも悪くもおのずと周囲や文化は日本企業っぽくなる。ビジネス規模、社員規模も大きくなれば、圧倒的にグローバルカルチャーよりも日本ビジネスカルチャーのほうが強くなってくるのだ。
そんな中で、こちらにきて、サンフランシスコオフィスの人たちと働くのが多くなって、グローバルのそれぞれの橋渡し的な役どころもするようになって、(所属はまだ日本なんだが)一番感じるのが、『仕事』の価値や姿勢にたいする考え方の違い。
たとえば、
- 新しい組織のスタートアップ、メンバー組成から業務整理・定義・管理
- その中で、15人を超えるメンバーのミドルマネジメントを定義して、こなす
- 組織間の点と点を点と点(4つ以上の、という意味)をつないで、大きな面にする(とか違うものに発展させる)
- グローバル管理体制へ、積極的に物申す、ローカルの言い分や成功をグローバルチームにこまめに発信する
的なことを私は地味にやっているのだが、それらの具体的な動き方や考え方に対する評価が概して高く、思いのほかポジティブ。こういうわかりにくい隙間業務(誰もやらない、誰も決めない)とかを自分でみつけて作って、外堀かためつつポジティブに埋めていく、というアプローチに対しての姿勢の違いなのかな。ここで評価とは、出世とかパフォーマンス評価(成績表)ではなく、もっと広い意味でのこと。
アメリカでも企業文化の違いでよく、『過去実績重視の東海岸、将来の貢献やアイデア重視の西海岸』とよばれる、そのカリフォルニアのテク企業周辺だからかもしれないが、
未来目線で、誰もやってない、やらない、他に誰もできない、ところに目をつけて手を入れて、かつ、つなげていく。というのが好きなんだろう。
営業で売上XXX獲得!とか、経費削減Y%!とかではなく、私の役どころはかなり地味なところなんで、あまり期待もしていなかったが、そういう実績に対して、思いもよらずポジティブな反応を最近たくさんもらうことができて、なかなか嬉しい。そういうのをわかってくれる(将来の)上司候補がいることに、新鮮な驚きをもらう日々。
思えば、日本では決められた業務をみんなにわかりやすい尺度や方法(つまりは既存のやり方)を一番うまく目立つようにやる、というのがわかりやすい高評価の方法で、その中で狭いパイで競いあってる感じだ。結局、評価システムも、基準は型はグローバルであっても、一定の企業文化をもつマジョリティーの上級管理職の裁量でどうにでもなるものだ。そんな中でひとりマイノリティーの立場でもがいていたのが、アホに思えてきた。『戦う』意義はあったので後悔はしていないが、井の中の蛙、ゆでガエルというか、自分自身も狭くなってたのに気がつき反省する。
上司を含むや職場環境は2~3年でかえるのが個人にとっても企業全体にとってもヘルシーなんだろう、と改めて思う。市場も企業も流動性が大事。変化のないところには、発展・創造はうまれない。
自由に柔軟に、凛としなやかに、いこう。