SF ママチャリ日記

東京恵比寿・広尾から米国夫と5歳娘と39歳で初渡米。アラフォー育児に奮闘中。日本の電動ママチャリでサンフランシスコの急な坂も人生アップダウンも快走中。(その後ママチャリは3台盗まれたけど、迷走快走中)

ロン毛 で思う

真子様、小室さん騒動は、時折アメリカからもヤフーニュースなどを通じて読んでいる。原則、私個人として、どちらかの意見を言えと聞かれたら(誰も聞かないが)、反対派の立場をとる。別に国民が全員、姑化しなくてもいいというのも納得だが、日本の皇室、国家の象徴ですからね。無関心というのよりベターかと思う。

 

これを発端にして考えたのは、一連の流れですべてがブラックボックス、情報開示されないことへのフラストレーションだ。本人たち、その家族、親、関連各省庁とも説明責任がなく有耶無耶にするという一連のプロセス、それがそもそもの問題であり、日本につきまとう問題と思う。皇室存続という大きな問題はいったんおいておいて、いろいろな論点?というか疑問が含まれていてモヤモヤが止まらないわよね。

  • 危機管理・デューデリジェンス
    誰がどうやったか、やった上でOKだったのか?
  • コミュニケーション戦略・統制
    週刊誌等にすっぱ抜かれてゴテゴテ感すごい。わざと?と思えるくらい
  • 状況把握能力と、伝える努力
  • 上級国民論
  • 公人と準公人、権利と責務
    私人か公人か。準公人とは?その債務は?代償は?
  • 全てに対しての意思決定者不在・不透明
    宮内庁?親?本人?政治?
    最終決定権者は誰なの?意見が割れたときの対処法は事前に決まってない?

とはいえ、

ロン毛に関してのツッコミや論争は、びっくり。正直そこ?と思ってしまった。見た目の批判にいってはいけない。これは鉄則。そうなると批判している対象が論点ずらして勝利してしまう。

ま、でも

ロン毛の小室圭さんを「人は見た目が9割」の著者はどう見たか | デイリー新潮


これを読んだら、たしかに、と思ったのも事実。
「A4の紙で20枚を超えるとも報じられた大量の記述は、言語情報という観点からは非常に論理的で、説明を尽くそうという意欲が感じられました。ところが、どれだけ言葉という言語情報を積み重ねても、『見た目』という非言語情報の伝達力には敵わないことが往々にしてあるのです」(同・竹内氏)

非言語情報はやはりインパクト大。

そもそも「象徴」たる存在なんて、基本的には非言語情報の塊ですものね。

 

自分ごととして思ったのは、米国5年。ロン毛自体は全くきにならなかった自分をふりかえり、日本が求める「社会的・期待値」に対する察する能力がやや衰れえてきているかもと思ったわ。いや、前からそうだったかな・・・。

 

アメリカの日々生活で実感するのは、逆に、人は見た目で判断してはいけないということ。見た目以上のものを瞬時に見抜く術を身に着けないといけない、ということも含み。苦笑)